始めに
人に期待しすぎて裏切られた、だからこそ何も期待しないことが正しい、そう思ってはいないですか。
逆に子供は期待すればするほど伸びる、だから期待することが正しい、そう思ってはいないですか。
実はどちらも正しいけれど、どちらも間違っています。
今回は人がよく片方に依存しがちな期待すること、期待しないこと、それぞれの大切さ、そして普段の生活でどういうことについて気を付けていけばいいのか、について見に行こうと思います。
期待しないことの大切さ
何も期待しないことは大切です。
どんなに悲しいことがあっても元から何も期待していない人はそれを裏切りと考えません。もともとなにも期待していないからです。
そして期待しなければすべてに感謝ができます。
自分が今パソコンを使っていること、スマホを使っていること。それらのものがある、とは期待していないので今使えることに感謝をすることが出来ます。
期待しないことと仏教
仏教にはよく知られているように「無常」という考え方があります。
「無常」というのは常なるものは無いという考え方で、ずっと変わらないものは無い、ということです。この考え方は期待しないことに対する考え方に少しだけ似ています。
期待している、というのは実は変わらないものがあると思っていること、とも言えます。
期待することは、今まで変わらなかった何らかの法則性から未来に対してそれが起こるのではないかと思ってしまう、ということともいえるからです。そのなんらかの法則性も変わらないということはありません。
仏教では人間は「無常」を理解していないからもがき苦しむ、とよく言います。
なにも期待しないということさえできれば、あなたは苦しむことがなくなります。
むしろ今あるものに感謝することが出来ます。
より詳しく
仏教講義 22.智慧ある人は愉しんで生きる(4)今の瞬間を生きる
参考するにするとよい本
期待しないこととキリスト教
期待しない、という考え方はどちらかというと東洋の考え方ですがキリスト教にも対応する考え方があります。
その考えはすべては神が作った、という考え方です。
すべてのものが神の作られたものだから自分の持っているものは神からの贈り物だ、と考えるわけです。
自分の持っているものは神からの贈り物、ということはその贈り物に期待してはいけません。ただただそこに贈り物があることに感謝するだけです。
期待しないことの大切さに対する私の解釈
個人的な解釈としては何も期待しないことを究極的に突き詰めていくとすべてに対して感謝をすることになるのかな、と思います。
すべてに対して期待しないでいると、すべてのものに対して一期一会の喜びがあることになります。その喜びの気持ちを感謝といいますが、その感謝を感じ続けることこそ究極的な形の期待をしない、ということではないかと思います。
終わりに
いつもよりまとめるのに長い時間がかかりそうなので、ここらへんで一回切っておきます。また期待することの大切さはまたの機会に(一週間か二週間後に更新します)。引き寄せの法則、などと合わせて書いていきます。